「格差」は日を追うごとに大きくなり、勝ち組と負け組というような言葉を生むことになっています。現在の日本を見て、「いざなぎ景気」を越えたと言われる景気を享受している企業や個人がどれほどいるのかはなはだ疑問です。
景気が良いというのは、例えばGDP成長率で8%前後だった「いざなぎ景気」の事をいうのであって、今の景気はGDP成長率が1%という程度でマイナスではないということでしかありません。その上、リストラや公共事業削減etcと、中小企業や、そこに勤める方々にとってプラスの要因はありません。
事実、実質的な不況により、借入金の返済が滞り、本業はそっちのけで金策に奔走しなければならない。または、すでに所有不動産の差し押さえや競売といった法的手段による一方的な整理の対象となっている方も多く、官報に掲載される破産事件の多いことといったら大変なものです。
私たちは「任意売却」という手法を使って担保不動産をできるだけ良い条件で売却し、事業者や個人が再生を図る事を第一に考え、実行していきます。
 
 
 

「競売」はよく聞く言葉でどんなものか多くの方が御存知だと思いますが、「任意売却」は聞き慣れない言葉ですね。「競売」は不動産についている担保権を活用し、法的手続によって債権を回収する手段です。

他方、「任意売却」は借入金などの支払いが困難になった場合、競売などの法的手続によらず、所有者(債務者)と金融機関などの債権者の間に仲介者が入り売却代金の配分方法などについて合意し、その合意に基づいて売却する手段で、所有者はもちろん債権者にとってもメリットが多い方法です。

「例えば、会社の社長さんが、借入の支払いを数カ月滞らせました。金融機関は当然のように返済を迫ります。担保に入っている不動産を処分して返済にあてるよう要求します。しかし、社長さんは今を乗り越えれば事業が好転すると考えています。社長さんには自宅と工場があります。どちらも担保に入っていますが、工場を処分してしまうと事業ができなくなるので、自宅は処分して債務を圧縮し、月々の返済を少なくして事業を継続させようと考えました。金融機関は競売にかけるか任意売却するか検討します。その結果、まず、社長の協力を得て、自宅のみを任意売却し、債務の圧縮ができる金額が用意できれば社長の事業継続に協力できるという結論になりました。

私たちは金融機関と社長さんの意向により、適正な売却金額を査定し、買受人を探し、他の金融機関(自宅は2社の金融機関が担保をつけていた)と配分の調整を行い、無事任意売却を成功させ、社長さんは事業の再生に取組んでいます。もし、任意売却という手法を取らず、競売ということになれば、社長さんの自宅も工場も1年間もかけて市価を下回る価格で売却され、事業はもちろんできず、会社の破産、社長さんの自己破産という結果になるのは明白でした。

担保不動産や借入金、事業内要、個人の資産、収入などの状況もいろいろなので一概には言えないところもありますが、競売より早く多く確実に返済できるのが任意売却です。この方法がもつ社会的意義は大きいと考えています。Aさんは住宅ローンを滞納していました。銀行からの督促状には目もくれず放っておいたのですが、ある日競売の申立てをされてしまいました。それでも、何とかまとまったお金を用意して銀行に掛け合えばどうにかなると勝手に判断していましたが、債務のすべてを返済しなければ銀行は取下げをしてくれないことがわかり、弊社に相談されましたが、時は期間入札開始の3日前でした。Aさんは任意売却を知らなかったといいます。3日間ではさすがに手を打つ事ができず、そのまま落札され、Aさんに残ったのは債務だけでした。「任意売却」はまだ馴染みのない言葉ですし、一生のうちにそう何度もあってはたまりませんが、Aさんが少しでも任意売却を知っていれば結果は違ったはずです。

私たちは不動産を手放なさなければならない方々の「痛み」を知っています。さらには手放したあとの安堵も知っています。任意売却は不動産の所有者と私たち、さらには関係者が共同で処理しなければならないものです。しかし、競売では成し得ない「三方一両得」ができる唯一の方法だと思います。

 
 
 

返済が滞り、債権者が回収不能と判断すると担保不動産の競売の申し立てを裁判所にします。裁判所ではこの申し立てに基づき執行官が不動産の調査、査定し、評価書を作成、売却基準価格(入札の目安になる不動産価格で一般的に流通市場相場の60〜70%)を決定し、競売による入札が公告され、実施されます。地域や、物件によっても異なりますが、通常申し立てから落札までの時間は3ヵ月から12ヵ月です。競売は申し立てる側も予納金などの金銭負担や、時間的な負担、さらには回収金額の不確定、低さという問題があり、任意売却で短期間にかつ流通市場相場での売却代金による回収ができるならそれに越した事はないと考えています。